清瀬といえば中森明菜、そして病院が異様に多い町です。確か日経ビジネスかなんかのランキングで、日本の自治体の項目別ランキングで、わが町清瀬は堂々この分野で確か全国2位?(人口一人当たりの病院ベッド数?)で、病気介護含めて老後を過ごすにはいい環境かと思います。
ほとんど埼玉県と思われている清瀬は大東京のはずれですので、いわゆる難病の治療施設(というよりは当時は隔離施設といったほうがいいのかもしれません)が昭和の初めに設けられたようです。清瀬には結核の療養所、別名サナトリウムがあり、隣接していますが東村山市にはライ病の全生園という療養所があります。以前の結核の療養所が現在は国立療養所東京病院という近代的な病院になっており、それ以外にも複十字病院や救世軍清瀬病院など、結核研究所や関連の病院や大学、看護学校や老人ホーム、教会などが清瀬市の西部に集中しております。創設以来数十年を経過したこともあり、昔からの武蔵野の雑木林と手入れされた植樹が一体化した非常に緑地率の高いエリアです。病院敷地なので、あまり内部に入るのは控えておりますが、四季折々の変化が楽しめる散策ゾーンです。東京病院や小児病院のしだれ桜はとりわけ見事です。
学生時代に読んでいた福永武彦という作家(池澤夏樹という小説家の父親)の「草の花」(だったと思う)という小説に、主人公がかって結核療養していた清瀬の町がが出てきていたので、昔から知っていました。やはり緑陰を駆け抜ける風のイメージが、今でも残っています。
蛇足ですが、この病院エリアを含む清瀬市西部の地名は「松山」「竹丘」「梅園」という名前で松・竹・梅を頭に持ってきた佳名で、いかにもという感じの「ダサ」さです。せめて「松ヶ丘」「竹園」「梅沢」ぐらいのセンスで名づけて
欲しかった。残念!!